2010年11月18日

由来、日本の刀は、人を斬り、人を害するために鍛えられてあるのではない。御代を鎮め、世を護りたまわんがために、悪を掃い、魔を追うところの降魔(ごうま)の剣であり--又、人の道を研き、人の上に立つ者が、自ら誡め、自ら持するために、腰に帯びる侍のたましいであるから--それを研ぐ者もその心を持って研がねばならぬぞ・・・

吉川英治『宮本武蔵』(6)
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