2010年10月3日
永井荷風 「墨東綺譚」
わたくしは殆ど活動写真を見に行ったことがない。 おぼろ気な記憶をたどれば、明治三十年頃でもあろう。神田錦町(にしきちよう)にあった貸席錦輝館(きんきかん)で、サンフランシスコ市街の光景を写したものを見たことがあった。活動写真という言葉のできたのも恐らくはその時分からであろう。それから四十余年を過ぎた今日(こんにち)では、活動という語(ことば)は既にすたれて他のものに代(かえ)られているらしいが、初めて耳にしたものの方が口馴れて言いやすいから、わたくしは依然としてむかしの廃語をここに用いる。 震災の後(のち)、わたくしの家に遊びに来た青年作家の一人が、時勢におくれるからと言って、無理やりにわたくしを赤坂溜池(ためいけ)の活動小屋に連れて行ったことがある。何でもその頃非常に評判の好いものであったというが、見ればモオパッサンの短篇小説を脚色したものであったので、わたくしはあれなら写真を看(み)るにも及ばない。原作をよめばいい。その方がもっと面白いと言ったことがあった。 しかし活動写真は老弱(ろうにやく)の別(わかち)なく、今の人の喜んでこれを見て、日常の話柄(わへい)にしているものであるから、せめてわたくしも、人が何の話をしているのかというくらいの事は分るようにして置きたいと思って、活動小屋の前を通りかかる時には看板の画と名題とには勉(つと)めて目を向けるように心がけている。看板を一瞥(いちべつ)すれば写真を見ずとも脚色の梗概も想像がつくし、どういう場面が喜ばれているかという事も会得(えとく)せられる。