十年以前、はじめて東京に住んだときには、この地図を買い求めることさえ恥ずかしく、人に、田舎物と笑われはせぬかと幾度となく躊躇した後、とうとう一部、うむと決意し、ことさらに乱暴な自嘲の口調で買い求め、それを懐中にし荒んだ歩き方で下宿へった。夜、部屋を閉め切り、こっそり、その地図を開いた。赤、緑、黄の美しい絵模様。私は、呼吸を止めてそれに見入った。隅田川、浅草、牛込、赤坂。ああなんでもある。行こうと思えば、いつでも、すぐに行けるのだ。私は、奇跡を見るような気さえした。
今では、この蚕に食われた桑の葉のような東京市の全形を眺めても、そこに住む人、おのおのの生活の姿ばかりが思われる。こんな趣のない原っぱに、日本全国からぞろぞろ人が押し寄せ、汗だくで押し合いへし合い、一寸の土地を争って一喜一憂し、互いに嫉視、反目して、雌は雄を呼び、雄は、ただ半狂乱で歩き回る。