もし作家の自己主張を客観化して表現するのが近代小説であるとすれば、中期の谷崎の作品にはそういう要素はほとんど見られない。作者はむしろ”私”を消すことによって、豊かな物語世界を作り出したという趣が濃い。
谷崎は戦中、戦後の激動期を通じて、おのれの思想を修正する必要のなかったごく少数の文学者に一人である。三島由紀夫の評言をかりれば、谷崎にとって日本の敗戦とは、「日本の男が白人の男に敗れたと認識してガッカリしているときに、この人一人は、日本の男が、巨大な乳房と巨大な尻を持った白人の女に敗れた、という喜ばしい官能的構図」として敗戦を眺めていたということなのである。
人間はマゾヒズムにおいてこそ、つまり何ものかのために自己を隷属させることによってこそ、はじめて自己を確認できるというのが、谷崎の思想だったといえるのである。
磯田光一