2012年12月31日

法然

第21章  無常の日々

 あるいは“金谷(きんこく)の花をもてあそびて”遅々(ちち)たる春の日を虚しく暮らし、あるいは“南楼(なんろう)に月をあざけりて”漫々(まんまん)たる秋の夜をいたづらに明かす。 あるいは“千里の雲にはせて”山のかせぎをとりて歳をおくり、あるいは“万里の波に浮かびて”海のいろくずをとりて日を重ね、あるいは“厳寒(げんかん)に氷をしのぎて”世路(せろ)を渡り、あるいは“炎天(えんでん)に汗を拭(のご)いて”利養(りよう)を求め、あるいは妻子眷属に纏(まと)われて〈恩愛の絆〉、切り難し。あるいは執敵怨類(しゅうてきおんるい)に会いて〈瞋恚(しんに)の炎(ほむら)〉、やむことなし。 総じて、かくのごとくして、昼夜朝暮(ちゅうやちょうぼ)、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、時としてやむことなし。ただほしきままに、飽くまで〈三途八難(さんずはちなん)の業(ごう)〉を重ぬ。 しかれば或る文には、「一人一日(いちにんいちにち)の中(うち)に八億四千の念あり。念々の中(なか)の所作、皆是れ〈三途(さんず)の業〉」と云えり。 かくのごとくして、昨日もいたずらに暮れぬ。今日もまた、むなしく明けぬ。いま幾たびか暮らし、幾たびか明かさんとする。

『勅伝 第三十二巻』「登山状」より
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