2012年2月14日

屋根裏プラハ

波 2012年2月号より

孤独な散歩者

沢木耕太郎

 これは私が初めて眼にするような種類のトラベローグである。
 いや、もっと素直に言えば、「このような旅のかたちがあったのか」という驚きに撃たれた書物である。
 もしこの『屋根裏プラハ』を旅行記として読むとすれば、なかなか前に進まない旅行記として、いくらかじれったく思うかもしれない。もちろん、これはトラベローグの中でも、滞在記と分類されるかもしれないものだから、移動が主眼にはならない。しかし、滞在記だとすると、その土地の、ここではプラハの、生々しい現実が希薄すぎるという印象が生まれかねない。
 旅行記でもなく、滞在記でもない。では、この『屋根裏プラハ』は何なのか。
 写真家にして、クラッシック・カメラのコレクターでもある田中長徳は、東京の佃に住んでいるが、アトリエはチェコのプラハにある。そこで、一カ月か二カ月に一度、日本からチェコに赴き、プラハに二、三週間滞在しては、また東京に戻ってくる。それを、実に二十年も続けているのだという。
 その結果、プラハへの移動は、単なる「通勤」でもなければ「旅行」でもないものとなり、プラハにおける滞在は、単なる「日常」でもなければ「非日常」でもないということになった。
 それにしてもなぜプラハだったのか。
《プラハは写真家の楽園である。世界中でこれほど魅力のある都会を知らない。それは巨匠ヨセフ・スデクの仕事が示している。千年の古都を今に歩行して写真を撮影できるのは奇跡のようなものだ》
 だが、もちろん、それだけではない。
《プラハでの一人暮らしは実にシステマチックだ。一人暮らしの快楽がここには存在する。なぜなら、日本で自分はあまりにも多種多様な人間のグループの中に属し、それぞれの役柄の異なる台本を読まされて、自分はいったい誰であるのか、それがわからない。ここ、プラハでは本当に一人になって他人の中にではなく、自分の中に入ってゆける。自分がプラハと恋愛関係にあるとはそういうことを意味する》
 こうして、田中長徳は、チェコのプラハで、「旅行」でもなく「生活」でもない、なかば宙づりにされた「不思議な時間」を生きることになったのだ。

 プラハにおける田中長徳は、旅行者でもなければ居住者でもない。彼によれば単なる「旅券の運び屋」ということになるが、この「運び屋」には年季が入っており、プラハの若者に対しては一九八九年の「ビロード革命」を知っている「古老」の立ち位置まで獲得しているという。
 この『屋根裏プラハ』における田中長徳の一人称は、「私」でもなく、「僕」でもなく、「俺」でもなく、「あたし」である。
 一般に、男性による「あたし」という一人称の用い方には、「やつし」の心性がこめられていることが多い。しかし、田中長徳の「あたし」には、いったん「私」や「俺」を扼殺してから「あたし」に至ったという心理的な操作がまったくうかがえない。あえていえば、田中長徳の「あたし」は透明なのである。
 それは、ひとつには、田中長徳の文章が極めて端正であることによってもたらされる印象かもしれないとも思う。『屋根裏プラハ』を前にして、いきなり本を開いてみると、どのページも字組みのバランスがいいことがわかる。字面の美しさは文章の端正さを物語っているものでもある。
 そうした文章で描かれたこの『屋根裏プラハ』は、一章一章がまるで大型カメラで撮影された精密な風景写真のように読める。そこに切り取られ、定着された「あたし」好みのプラハの風景が、ゆっくりと視点を移しながら叙されていくのだ。
 ただ、そこに描き出された風景写真は普通のものとは違い、二十年という時間が映り込んでいる。あたかも、もうひとつの「3D映像」ででもあるかのように、時空の軸の方向に立体性を持っているのだ。「あたし」はそこに映り込んでいる時間を自由に行き来し、プラハの現在と過去を微細に述べていく。断続的に滞在したプラハの二十年を、現在の「あたし」という串で、串刺しにして提出していると言ってもよい。そして、それを描く文章といえば、「あたし」という一人称から想像される饒舌さとは正反対の、乾いた精密さが感じられるものになっているのだ。

 その風景写真のもうひとつの特徴は、「人」より「物」の方が多く写し込まれているということである。
 もちろん、そこにまったく「人」が登場してこないというわけではない。とりわけ、チェコのジャーナリストである「P」という男性が何度か顔を出してくるが、それでも、トラベローグとしては圧倒的に「人」の出てくる割合が少ない。
 それに比べれば、「物」の登場はもっと頻度が高く、この『屋根裏プラハ』という書物において、より本質的な意味を持っている。
 カメラはもちろんのこと、ホテルの建物、飛行機、エンジン、切手、ワイン、チョコレート、路面電車、記念写真……と、さまざまな「物」が登場してくる。
 この「物」に対する偏愛が、『屋根裏プラハ』というトラベローグのもうひとつの特徴を形作っていると同時に、「あたし」という一人称を生み出す回路になっているのかもしれないとも思える。
 そう、プラハにおける「あたし」は、「物」を介してプラハの過去と未来を行き来している、孤独な散歩者なのだ。

 本来、旅行者がトラベローグに記すことができるのは、たかだか移動するときに感じる「風」でしかない。しかし、「旅券の運び屋」にして「孤独な散歩者」たる田中長徳は、プラハにおける「不思議な時間」を生きることで、「あたし」を取り巻いている、あるいはかつて「あたし」を取り巻いていた、「空気」を描くことができている。それが可能だったのも、やはり二十年という長大な時間の元手をかけてきたからに相違ない。
《高い天井が見える。腕時計がないので時間はわからない。視野の右に半ダースほどの天窓がある。冬の弱い朝の光だ。下から路面電車の音がする。
 佃のマンションじゃない。
 ああ、プラハなんだ……。
 意識がだんだん覚醒する》
 もしかしたら、「このような旅のかたちがあったのか」という私の驚きは、「このような生き方があったのか」という驚きと同じものであるのかもしれない。

(さわき・こうたろう 作家)
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